毎朝毎朝、蝉の鳴き声がシャワーみたいに浴びせられる。音であるというのに質感をもったあれは夏独特の感覚なのであるが五月蠅い。風流より何よりも五月蠅い。ちょっと殺虫剤でも撒いてやれば黙るだろうか。そもそもなんで他人の発情の歌なんぞ聴かなくてはならないのか。朝からエロいぞ、蝉の野郎共。
水木イズム第六十五回。残るは三十回程度となった。残り三分の一、どうぞお付き合い願いたい。前回は「丸毛」について講釈をさせていただいた。これに引き続き、再び水木しげる先生独自のキャラクターへの講釈をさせていただこう。そんな今回紹介させていただくブロンズ像はこちら。
「鬼太郎(赤ちゃん)とお父さん」である。所謂、墓場鬼太郎の名場面だ。鬼太郎の両親は幽霊族という絶滅危惧民族であったが奇病を患い死の床に伏せっていた。金が無く、血液を売って命を繋いでいたのだが、輸血をすると幽霊になってしまうという怪病が世間で流行り、その調査によって鬼太郎の両親と鬼太郎の義理の父となる青年は出逢うことになる。
ゲゲゲの鬼太郎は正義の味方であるが、墓場の鬼太郎はおどろである。おどろ。妖怪。人の仇なす存在である。義理の父を地獄送りにする。気にくわない人間は陥れる。奇妙に不気味な笑みを浮かべる。
それもそのはず、これらは大人向けに作られたものであるからだ。愛される必要がないのである。奇怪な存在として印象づけられればそれで良いのだ。しかし、ゲゲゲの鬼太郎は違う。ゲゲゲの鬼太郎は子どもたちにも愛されるヒーローでなければならなかった。
ゆえにだ。ゲゲゲの鬼太郎の顔はベビーフェイス、善玉風の顔をしている。どこか可愛げがあって惚けている。墓場の鬼太郎はヒール、悪玉風の顔をしており、常に何かを企んでいるかのようである。
目玉の親父は元は幽霊族としてミイラのような姿をしているものであったが、鬼太郎の安否が心配でその目玉だけで生き延びることになった妖怪である。ちなみに、これはもう既に有名な話で間違えられていることはないだろうが、鬼太郎の片目が無いのは墓石にぶつけてしまったからである。目玉が取れて親父になったわけではないので気を付けよう。
目玉の親父といえば、実写映画でもアニメでも常にその中の人として頑張り続けてきた田の中勇氏が2010年1月13日に逝去された。その後釜が誰であるかの正式な発表は為されてはいないが、青野武氏が一度目玉の親父を担当されたそうだ。青野武氏といえば"ちびまるこちゃん"の"さくら友蔵"、"ONE PIECE"の"鷹の目のミホーク"などを担当するベテラン声優である。
彼であれば目玉の親父を演じきることは可能だろう。しかし、あの田の中勇氏の高音ヴォイスがもう聴けないとなると目頭が熱くなることを抑えきることが出来ない。今更ながらに黙祷。安らかなる眠りがあらんことをお祈りする。
*********************************************
水木イズム バックナンバー
第六十回 「うわん」第六十一回 「手長足長」第六十二回 「すっぽんの幽霊」第六十三回 「キジムナー」第六十四回「丸毛」